伊勢丹の歴史

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百貨店は立地が第一

伊勢丹の歴史上、最も重要な経営判断は、1933年の新宿三丁目への出店である。この立地選択が、百貨店業界で伊勢丹が頭一つ抜けた百貨店になるドライバーであった。

百貨店経営で留意すべきことは、経営の勘所は立地であり、従業員のマネジメントではない点である。非情なことに、いくら従業員による接客を向上させ、顧客満足度を高めようとしても、立地を間違えれば百貨店の商売は成り立たない。

仮に百貨店を客が寄り付かない場所に出店すると、商品の回転期間が長くなり、顧客は色あせた在庫ばかりの店舗に寄り付かなくなる。この負のサイクルが回ると、百貨店は閉店まっしぐらである。よって、百貨店経営者の仕事は、商品の回転期間を最小化する立地選びが最重要であり、その次に日々のマネジメント業務が控えているといって良い。

ところが、立地選択には重要な問題がある。すでに「一等地」と呼ばれている場所には、他の店舗が存在しており、百貨店が出店するハードルは高い。そもそも一等地は売りに出ることが稀で、運良く購入できたとしても高値づかみになる可能性が高い。その意味で、残念ながら、21世紀の現在、百貨店が立地を選ぶ余地はすでに存在しない。例えば、高島屋は、平成に入ってからの新宿進出で、莫大な家賃により長年苦しんできた。

では、新宿三丁目の一等地を確保している伊勢丹・新宿本店はどのように「一等地」を手に入れたのか?この答えは、伊勢丹の創業家・小菅丹治が、当時まだ新宿が発展途上都市であった「1930年代=戦前」に土地を確保したことにある。戦前の東京の繁華街は「日本橋・銀座・浅草」であり、路面電車の交通網が充実した拠点だった。逆に「渋谷・新宿・池袋」は都心から離れた田舎であり、そもそも百貨店商売が成り立つかは不明な土地柄であった。

つまり、小菅丹治は常識はずれの決断を下した。東京の東側が発展している中、あえて西側の玄関口を買ったからである。東京郊外の西への発展することをを見抜いたうえで、早くも1930年代に新宿への進出を決断した。これが、現在の伊勢丹新宿本店であり、伊勢丹三越HDの経営を支える旗艦店に育った。その意味で、伊勢丹の歴史上、最も重要なのは新宿への進出と言える。

21世紀に入り、百貨店という業態そのものが苦境に陥る中、伊勢丹の新宿本店だけは鼻息が荒い。これは、新宿三丁目という超優良立地によって商品の回転が短く、顧客にとって常に魅力のある商品を売り続けることができるからである。

世間では「百貨店は斜陽だ」という論調が強いが、本質的には回転率の問題である。ほとんどの百貨店の立地は戦前に決まっているが、これらの出店立地が陳腐化し、回転率が落ちて顧客が満足出来る商品を揃えられないことに、斜陽の本質的な問題がある。

2000年代の経営判断

投資キャッシュフローの推移


時代背景

1960年代まで百貨店業界は我が世の春を謳歌し、日本政府が「百貨店法」を制定して地元商店街の保護のために百貨店の新規出店を抑えるほどの力を持っていた。

ところが、1970年代に総合スーパーが台頭し、小売業ではイトーヨーカ堂、ダイエーが台頭。他方、百貨店の稼ぎ頭であるファッション領域でも個性の尖ったデザイナーの店を擁するパルコが出現し、百貨店の競合が相次いで攻勢を仕掛けた。

1980年代にバブル景気によって高級品への需要が高まったことで、百貨店は一時的に息を吹き返すが、株高に支えられた消費はバブル崩壊により消滅。1990年代に百貨店業界は冬の時代に突入した。

また、2000年代までに東京の人口の趨勢は西側優位が定着。多くの百貨店の立地上の優位性が低下。1998年には日本橋の旧白木屋(東急百貨店日本橋店)が閉店を決定し、1930年代に立地選択をした老舗百貨店は、立地面でも苦境に陥った。

業界が苦しい中、伊勢丹は新宿という立地と、メンズ館の成功により業績が好調で、百貨店業界における勝ち組となっていた。


決断:三越と経営統合

2008年に伊勢丹は三越との経営統合を決断。株式交換による統合で、伊勢丹の株式比率が三越よりも多く、実質的に伊勢丹による三越の吸収となった。三越としては、伊勢丹の支援がなければ、単独企業としての存続が危ぶまれる状態だった。

統合の仕掛け人は、三井住友銀行である。三越のメーンバンクであった三井住友銀行は、三越に伊勢丹への統合を要求し、伊勢丹のメーンバンクの三菱UFJが統合を承諾し、経営統合が実現した。したがって、この統合では百貨店の当事者である三越・伊勢丹は乗り気ではなく、銀行によって進められた経緯があり、消極的な経営統合であった。

なお、社名が「三越伊勢丹HD」と、三越の名前が先に来ているのは、吸収合併される三越側のプライドに配慮したためである。


結果:「失敗」

*2000年代の投資FCのうち、年間最大投資額の70%以上の特別損失を計上した場合に「失敗」と判定する。

2008年の伊勢丹と三越の統合後によって、結果的に不採算店舗と余剰人員を抱え込む形となった。このため、2010年に三越伊勢丹HDは773億円の特別損失を計上した。

2010年 特別損益の内訳

773億円 特別損失(合計)

・364億円 早期退職者の募集

・264億円 三越店舗の減損(新宿/名古屋栄)

167億円 特別利益(合計)

・三越池袋店の土地売却益(現ヤマダ電機)

加えて、三越伊勢丹HDは三越vs伊勢丹の派閥争いが上層部で勃発している模様で、経営は不安定を極めている。2017年にはカリスマ社長と呼ばれた大西洋が社長を退任。大西社長が伊勢丹松戸店、広島三越などの4店舗の閉鎖を示唆したところ、一部の役員が激怒し、事実上の解任となった。(*1)

人員削減についても、着々と実行しているものの、労働組合は高額な退職金を会社側に要求。三越伊勢丹HDは、50代の部長職で5000万円の退職金を準備し、構造改革費用として計上しており、経営上の重しとなっている。

(*1)2017/03/29週刊現代「三越伊勢丹HD社長・大西洋氏「突然クビ」の全内幕」


立役者:武藤信一

三越との統合を決めたのはメーンバンクの三菱UFJ銀行であったが、この提案を受入た人物は、伊勢丹の社長・武藤信一である。2008年の統合後に、武藤は会長として三越伊勢丹HDの経営を担う予定であったが、2010年に急逝。実力者を失ったことで、三越伊勢丹HDの経営は迷走している。


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