世代を超える"再開発"という長期投資

六本木ヒルズの歴史 - 森ビル

#不動産の話 #2019/8/23

夕陽の建機群(麻布台再開発地区)

筆者撮影:Canon EOS60D EF17-40/F4L

世代を超える再開発事業

「再開発事業の面白いところは何か?」と言われれば、「長期だから」という点に尽きる。日本初の再開発の事例となったアークヒルズ(東京赤坂・六本木)は完成まで約19年、21世紀の東京を象徴する場所となった六本木ヒルズに至っては完成まで約21年を要した。日本の上場企業の経営成果が求められる平均年数は中期経営計画の3カ年が一般的だが、大規模な再開発事業には中計を約7回ほど繰り返す時間が必要となる。いわば、世代を超えた究極の長期投資事業といえ、この時間軸の長さに、他の事業にはない面白さがある。

もう一点、再開発事業の興味深い点は「事実は小説よりも奇なり」という諺の通り、人間ドラマが錯綜するところにある。特に、再開発の地区に一般住宅街が組み込まれた時に、非常に興味深いドラマが展開される。再開発されれば、住民の生活は一変するため、再開発を巡って様々な駆け引き、誤解、町会長の攻防、相続問題、トラブルはつきもので、住民の不安に付け入る反社会勢力や左翼団体などの温床にもなりやすい。このような人間の本性に根ざし、魑魅魍魎としたた数々の障害をいかにして乗り越えるかという点に、興味深さがある。

なぜ再開発には約20年の時間が必要なのかといえば、それは当該地区の住民が再開発を受け入れるまでには「長い時間」が必要なためである。新しい建物自体は数年で竣工できるが、現在の生活がある生活者が再開発を受け入れ、新しい生活を決心するまでには相当の年数が必要となる。それでも、時間をかければ着実に説得が進むところが、人間の適応力の強さなのかもしれない。

利害関係者ではない一般人が再開発に気づくのは、再開発の内側のドロドロとしたドラマが幕引きとなり、最後に建物を竣工する段階になってからである。起工した時点で、再開発はほとんど完了しており、その意味で、再開発における建物の新設は氷山の一角に過ぎない。つまり、再開発で興味深い光景が繰り広げられるのは建物が竣工する前の段階にあり、今も昔も、地権者の説得に際して様々なドラマが繰り広げられてきた。

森稔(森ビル社長・2009年)

真実と事実の違いや、人間の表と裏もたくさん見た。ひとりの人間にも善と悪の両面があることを知った。再開発の交渉は、そうしたこともひっくるめて人間を受け入れ、心の機微や弱さがわかる人でないとできない。そういう意味では非常にきついけれど、実践的な人間研究、人生勉強の場だ。

2009森稔「ヒルズ・挑戦する都市」

2019年時点で建設が進む「虎ノ門・麻布台地区」の再開発。森ビルが1989年より、約30年間にわたって地権者と交渉して計画が実現した。

筆者撮影:Canon EOS60D EF17-40/F4L

21年を要した六本木ヒルズ

東京で大規模な再開発事業のきっかけとなったのは1969年に制定された「都市再開発基本法」である。当時、首都圏ではニュータウン建設によって、多摩地区などの郊外に人口が流出し、東京都心部における人口は減少傾向にあった。そこで、日本政府は都心部における再開発を推進するために「都市再開発基本法」を制定し、再開発者は地権者の2/3の賛同が得られれば、残りの1/3の地権者が再開発に反対しても、再開発を遂行できるという憲法スレスレの強力な法律を施行した。同法により、東京都心部における再開発の実現可能性が高まり、再開発の時代が幕を開けた。

そして、再開発に賭けた先駆者が森ビルである。1960年代までの森ビルは新橋〜虎ノ門〜神谷町にてナンバービル「第〜森ビル」を所有するビルオーナーに過ぎなかったが、1967年に東京赤坂地区の銭湯跡地を買収し、当該地区の再開発の機会をうかがった。1969年に都市再開発基本法が制定されたことを受け、森ビルは赤坂・六本木地区の再開発を正式に決定し、数百人に及ぶ地権者の説得を開始。日本初の再開発事業という前例のないために交渉は難航し、長期間に及ぶ種々の説得を経て、1986年にオフィスビル・ホテル・マンションを併設した職住近接の街「アークヒルズ」を開業した。森ビルはアークヒルズの開発成功により、東京都港区という行政からの信頼を獲得し、東京都港区における木造住宅密集地域の再開発案件を手がけるようになった。

アークヒルズの次に森ビルが手がけた大規模再開発の案件が「六本木六丁目」における再開発事業であった。当該地区の主要な地権者であるテレビ朝日と東京都港区は、1982年に森ビルに対して老朽化したテレビ局の建て替えによる再開発を打診した。森ビルはテレビ朝日の要請に応え、テレビ局とその周辺の住宅街をあわせて再開発する方針を決めた。テレビ局の南側の住宅街は、消防車が進入できないような狭い道路に面しており、防災上の観点から再開発が必要な地区であった。

最終的に再開発の範囲が定められ、地権者は400名、面積は11ヘクタールに及び、開発面積と地権者数は1986年に完成した「アークヒルズ」を凌駕する再開発計画がスタートする。

六本木ヒルズ完成前の当該地区の地図。テレビ朝日の南側は木造住宅の密集地帯であり地権者が数多く存在した。イラストは筆者作成(参考:住宅地図)。

1986年より森ビルは毎週金曜日の9:15より本部長会議を必ず実施し、再開発当該地区の権利者の状況を共有した。報告の内容は「遺産相続でもめている」「借家人の明け渡しに苦労している」「先妻との間に子供がいる」[*1]という、地権者の生々しい悩み等も含まれていたという。森ビルは地権者に寄り添うことで、これらの悩みを一つずつ解決し、再開発を行うために必要な組合の設立を目標とした。

1992年までに、森ビルとテレビ朝日は地元住民に対する勉強会および説得を行って大方の同意を取り付けたが、従来の開発範囲には入っていない「南側住宅地への再開発範囲の拡大」という議題が上がる。より良い街を目指すには、道路の急勾配の解消には区域を南に拡大することが理想であったが、新たに住民を説得する必要があり、時間がかかることが予想された。この時、森稔社長は範囲の拡大を決意し、半年かけて同地区の住民80%の賛同を得て、六本木ヒルズの開発範囲を理想に近づけた。

他方、再開発地区の東側のスウェーデンセンターとタクシー会社は単独建築を希望したため、六本木ヒルズの再開発地区からは除外された。これらの範囲変更により、1992年に六本木ヒルズの開発範囲が定まった。

ところが、一部の地権者・住民は六本木六丁目地区の再開発に反対する姿勢を崩さず、1994年に「六丁目再開発反対の会」として活動を開始。地区内の自宅に再開発を反対する旨のポスターを張り出して抵抗したため、街の空気が悪くなったという。それでも、森ビルは反対する地権者を説得し、最大限の同意を取り付けた。

大半の賛同を獲得し、1998年10月6日に再開発組合の設立総会が開かれ、六本木六丁目地区の再開発が正式に決まった。2000年より地区住民の仮住居への移転が本格化し、2000年4月27日に森ビルは六本木ヒルズを起工した。

そして、2003年4月1日に森ビルは六本木ヒルズをほぼ完成させ、地権者への鍵の引き渡しを実施した。なお、着想から完成までに21年を要した長期プロジェクトであったため、高齢の地権者の多くが「六本木ヒルズ」の完成を見ることなく鬼籍に移ったと言われている。

森ビルwebページ

この再開発では意外なことに高齢な人ほど最初から賛成してくれる人が多かったのです。呼びかけ当時に80代の親から「良く分からないが、再開発というのはいろいろな意味で良い話のようだ。おまえたちの世代の話なのだから良く話を聞いたほうがいい。」と言われて話を聞いてくれた50代の人もいました。最初に賛成して「孫、子の世代のために」と積極的に話し合いに応じてくれたお年寄り達の多くが完成までに鬼籍に移りました。再開発の中心になって進めてくれた再開発組合の理事たちもその多くが70代になっていました。

森ビルweb「森ビルのプロジェクト - 六本木ヒルズ」

六本木六丁目再開発計画の完了後、六本木ヒルズのオフィスにはゴールドマン・サックスやライブドアなど、時代の最先端を行く企業が入居し、六本木という地名を全国に轟かせた。2000年代を通じて六本木という街は日本の新しい経済が勃興する中心地となり、木造住宅が密集する住宅地から、様々なトレンドを生む最先端の街へと進化し、再開発は成功裏に終わる。

日経ビジネス(2003)

東京のど真ん中に17年かけて新しい街が出現した。東京ドーム8つ分の広大な敷地に先端施設が競演する。「六本木ヒルズ」---。つくり上げたのは、森ビル。未上場企業ながら、そのノウハウは競合大手を唸らせる。六本木ヒルズは、森ビルの集大成でもある。...(中略)

六本木ヒルズは、丸ビル以上に話題を呼びそうだ。というのも、広いだけの敷地に、ありきたりのオフィスや住宅、商業施設を集めた並の再開発とは一味も二味も違うからだ。狙ったのは、「衣・食・住・遊」が一体となった「文化都心」。流行に敏感な年生活者を唸らせそうな施設が競演する。

2003/4/28日経ビジネス「特集・六本木ヒルズ」

総合芸術としての再開発

戸建やアパートが軒を連ねた住宅街「麻布台・落合坂」の通りは封鎖され、再開発によって姿を変えつつある。

筆者撮影:Canon EOS60D EF17-40/F4L

2019年8月に森ビルは、東京都港区・麻布台および虎ノ門地区における再開発事業を着工した。1989年に森ビルが当該地区の開発を計画して以来、平成の約30年を地権者との交渉に費やし、令和元年に工事が本格化する長大なプロジェクトとなった。すでに森ビルは当該地区に日本一の高層ビルを建築する計画を発表し、2023年に完成する予定である。

赤坂一丁目と六本木一丁目にまたがる「アークヒルズ」、六本木六丁目の「六本木ヒルズ」、そして虎ノ門・麻布台地区の大規模再開発は、いずれも森ビルが数十年という期間を経て実現した再開発計画であった。いずれも、地権者との交渉に多くの時間をかけ、各地区の住民が次世代に新しい街づくりを託したことで、多くの感情を乗り越えて実現した計画であった。今回の麻布台の計画は特に期間が長いため、高層ビル群の完成を見ずに、鬼籍に入った地権者も数多いと思われる。

再開発の完成後、事情を知らない一般人は「新しい街!キレイ!」と氷山の一角だけに目が行きがちだが、再開発の背景には次世代に街を託した地権者が数多くいたことを忘れてはならない。そして、少なくない地権者が街の完成を見ずして鬼籍に移り、後世に街を託したことを、頭の片隅に入れておくべきだろう。再開発後は昔の姿を想像しにくいからこそ、世代を超えた総合芸術として、その開発ストーリーを記憶しなければならない。

虎ノ門・麻布台再開発地区の近くに存在する西久保八幡神社。この場所は再開発されず、今後も残り続ける。再開発地区を調査する時、近くに神社があれば立ち寄り、苦しい思いをしつつ次世代のために再開発に同意した先人を偲んで、頭を下げることにしている。

筆者撮影:Canon EOS60D EF17-40/F4L



Reference

  • [*1]2003/4/28日経ビジネス「特集・六本木ヒルズ」
  • 1968/04/12読売新聞夕刊p10「超高層時代スタート」
  • 1971/5/03日経ビジネス「赤坂に再開発のオノふるう」
  • 1973/4/18読売新聞「だれのための再開発・赤坂」
  • 1991/5/27日経ビジネス「有訓無訓・森泰吉郎」
  • 2003/4/28日経ビジネス「特集・六本木ヒルズ」
  • 2009森稔「ヒルズ・挑戦する都市」
  • 森ビルweb「森ビルのプロジェクト - 六本木ヒルズ」