三井不動産の歴史/沿革

2019/10/16

どのような決断があったのか?

三井不動産の決断

1957年 海洋埋立事業に参入

終戦直後の三井不動産の所有する主な土地は日本橋だけであり、丸の内を掌握する三菱地所のようなオフィス賃貸経営を主体にすることが困難であった。そこで、1957年に三井不動産は千葉県沖合の埋立事業に参入し、土地造成を主力事業に据えた。この投資はリスクが高く銀行筋は反対したが、当社の江戸英雄社長は参入を断行。1960年代には土地造成で稼いだ利益でビル事業に参入することができ、埋立事業は三井不動産の黎明期を支える基幹事業となった。

1968年 日本初の超高層ビル竣工

三菱地所に対抗するために、1968年に三井不動産は日本初の超高層ビル「霞が関ビル」を竣工し、土地の高度利用の先鞭をつけた。以降、三井不動産は新宿などの都内の要所に超高層ビルを建設することで、オフィス収入を安定化させ、1970年代以降はオフィス賃貸の利益を「住宅建設/販売・ショッピングセンター・海外事業」などの多角事業に投資し、三井不動産は総合ディベロッパーへと変貌した。

1980年 共同事業Let's開始

歴史的な経緯により土地所有が少ない三井不動産は、土地活用の事業化を模索していた。1980年に三井不動産は土地所有者との共同事業Let'sを開始。このビジネスは、三井不動産が地主からマンション用地を買収し、完成後マンションのうち買収価格分を地主に売却するもので、地主にとっては三井不動産の知見利用と税制面でのメリットがあった。Let'sは三井不動産が住宅事業を拡大する上での武器となった。

2000年 防衛庁跡地の買収/東京赤坂

1990年代を通じてバブルが崩壊し、都内での土地取得が比較的容易になった。2000年に三井不動産は主幹事として東京赤坂9丁目の防衛庁跡地を1800億円で共同落札(三井不動産・安田生命・積水ハウスなど6社)し、2007年に東京ミッドタウンとして開業。東京都心部の一等地を再開発することで、収益性の高いオフィス賃貸事業の拡大を目論み、現在も日本橋・日比谷・赤坂などの都心部の再開発を進めている。

何に投資をしたのか?

三井不動産の沿革

1914年 三井財閥が不動産課を設置

1929年 三井本館を竣工(東京日本橋)

1957年 千葉県での埋立事業に参入

1960年 日比谷三井ビル竣工

1961年 住宅事業に参入

1968年 霞ヶ関ビルディング竣工

1969年 三井不動産販売設立

1970年 朝日土地興業を合併

1971年 三田綱町パークマンション竣工

1974年 新宿三井ビルディング竣工

1974年 三井ホーム設立

1980年 共同事業システムLet's稼働

1981年 ららぽーとTOKYO-BAY開業

1984年 三井ガーデンホテル大阪淀屋橋開業

1984年 ハレクラニホテル開業(ハワイ)

1986年 1251アメリカ街取得(NY)

1993年 大川端リバーシティ21竣工

1995年 三井アウトレットパーク大阪開業

2000年 オフィスビルファンド運用開始

2002年 中之島三井ビルディング竣工

2004年 日本橋一丁目三井ビルディング竣工

2005年 日本橋三井タワー竣工

2005年 三井不動産レジデンシャル設立

2007年 東京ミッドタウン開業

2007年 帝国ホテルに資本参加

2008年 赤坂Bizタワー竣工

2014年 室町古河三井ビルディング竣工

2015年 パークシティ大崎全体街区竣工

2017年 三井不動産ロジスティクスパーク稲沢

2017年 ホテル ザ セレスティン銀座

2018年 東京ミッドタウン日比谷

2018年 日本橋髙島屋三井ビルディング


どのように経営したのか?

マネジメント/資本政策

1941年 三井不動産設立(資本金300万円)

1949年 株式上場

1950年 月曜会発足

1955年 株の買い占め事件に遭う

1955年 江戸英雄社長就任

江戸英雄(社長任期1955年〜74年)

終戦直後に経営が苦しかった三菱地所の社長に就任し、ライバルの三菱地所に対抗するための施策を打つ。就任直後は埋立事業で収入を確保しつつ、地所を押しのけるためにリスクの高かった超高層ビルへの参入を決断。1968年に霞が関ビルを竣工したことで安定的な賃貸収入を確保し、大手デベロッパーの地位を確保した。三井財閥の世話役としても知られた。経済メディアは「三井不動産中興の祖」と高く評価し、日経新聞は同氏の「私の履歴書」を掲載している。

1956年 三井本社を吸収合併

1974年 坪井東社長就任

1987年 田中順一郎社長就任

1998年 岩沙弘道社長就任

2011年 菰田正信社長就任


三井不動産の売上構成比-長期推移(推定含)

三井不動産の売上構成比-長期推移

土地造成から不動産賃貸・分譲にシフト

高度経済成長期の1960年代の売上高の過半は千葉県沖の埋め立て事業であったが、1970年代以降は都心部におけるオフィス賃貸や郊外での商業賃貸、マンション分譲、住宅建設などの事業を拡大し、総合ディベロッパーへと転身した。なお、一等地の土地所有の面では丸の内を擁する三菱地所には敵わないものの、持たざる者のハンデをカバーした歴史に三井不動産の特色がある。

データ出所:会社四季報、有価証券報告書


三井不動産の株価-長期推移/終値

三井不動産の株価-長期推移

不動産市況に左右

三井不動産の事業構成は総合ディベロッパーであり、賃貸(オフィス・商業施設)・分譲・三井ホームなど土地絡みの事業が主体であるため、株価は不動産市況の期待感に左右されやすい。このため1990年代のバブル崩壊時や2008年のリーマンショック時の株価は低迷し、1980年代や2007年や2013年などの不動産市況が上向いた時期には株価が高騰している。

データ出所:ヤフーファイナンス(VIP倶楽部)


業界特性の歴史分析

都心部の駅前一等地を確保できるか?

オフィス賃貸事業では、交通利便性の高い駅から近いという立地条件が必須となる。このため、都心部駅前かつ広大な敷地面積を確保する企業に優位性が存在し、さらに「土地が安い時期」、すなわち鉄道が普及途上にあった「終戦直後(1950年)」までに一等地を仕入れた企業が優位に立ちやすい。

写真:筆者撮影/東京駅前


競争優位性の歴史分析

丸の内を所有する三菱地所には敵わず

日本のオフィス賃料の決定権を握るのは、東京駅前の丸の内の土地を所有する三菱地所であり、この点で三井不動産は競争劣位にある。ただし、三井不動産は日比谷・赤坂・六本木などの都心部一等地の土地を所有しており、三菱地所に追随している。

なお、三井不動産は、商業施設向け賃貸ビジネス、マンション分譲、住宅建設など、事業を広く手がける点に特色があるため、全事業を競争分析することは極めて難しい。

写真:筆者撮影/丸の内仲通り


三井不動産の競合を調べる


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