三菱地所の歴史/沿革

2019/10/16

どのような決断があったのか?

三菱地所の経営戦略

1890年 丸の内土地買収

当時の三菱財閥の主力事業は鉱山業や金融業であったが、岩崎弥太郎は陸軍からの要請を受けて東京丸の内の広大な敷地を買収した。丸の内地区は鉄道が通らない不毛の地であり、業界関係者は丸の内の発展について懐疑的であったが、大正時代に丸の内に東京駅が開業すると、かつての「不毛の地」は日本を代表するオフィス街に進化し、三菱地所は「丸の内の大家」というポジションを確立する。

1959年 丸ノ内総合改造計画策定

高度経済成長期に突入し、東京都心部でのオフィス需要が増大。これを受けて、三菱地所(渡辺武次郎社長)は明治時代に建設した丸の内の赤レンガ街を取り壊し、近代的なビル群を建設する「丸ノ内総合改造計画を策定した。この計画により、丸の内は再開発を通じてオフィス収容力を増大させた。

1990年 ロックフェラーGに資本参加

1980年代の日本経済はバブル景気に沸き、円高ドル安の進行もあって海外不動産の購入が以前よりも「割安」に行える環境にあった。そこで、1990年に三菱地所はアメリカの名門ロックフェラーグループへの資本参加を決断し、NYのロックフェラーセンタービルを取得した。だが、バブル崩壊によりロックフェラーへの資本参加は失敗に終わり、1990年代に三菱地所は巨額損失を計上した。

2002年 丸の内再開発

1990年代に大正時代に竣工した「丸ビル」などの老朽化が進み建て替え問題が顕在化した。そこで、1997年に三菱地所は初代丸ビルを取り壊し、2002年に2代目丸ビルを開業するとともに、メインストリートである仲通りの商業施設の誘致を進め、丸の内を休日も楽しめる複合都市として再開発した。この結果、三菱地所は引き続き丸の内の街の魅力を引き出すことに成功し、オフィス賃貸事業の競争優位性を持続している。

何に投資をしたのか?

三菱治所の沿革

1890年 丸の内の土地買収

1894年 三菱一号館竣工

1923年 丸ノ内ビルヂング竣工

1950年 新丸ノ内ビルヂング竣工

1959年 丸ノ内総合改造計画

1962年 大名古屋ビルヂング竣工

1969年 赤坂パークハウス竣工

1972年 三菱地所住宅販売を設立

1972年 泉パークタウン着手(仙台)

1973年 札幌/仙台/名古屋/大阪に支店新設

1981年 日比谷国際ビルヂング竣工

1988年 丸の内再開発計画構想

1990年 ロックフェラーグループに資本参加

1993年 横浜ランドマークタワー竣工

1996年 特別損失1026億円(96.3期)

1998年 丸の内再開発

2002年 丸の内ビルの竣工

2002年 丸の内オアゾの竣工

1996年 特別損失1768億円(00.3期)

2007年 新丸の内ビルの竣工

2007年 ザ・ペニンシュラ東京開業

2008年 藤和不動産を完全子会社化

2010年 特別損失888億円(10.3期)

2010年 三菱一号館美術館開業

2011年 三菱地所レジデンス発足

2012年 丸の内永楽ビル竣工

2012年 大手町フィナンシャルシティ竣工

2013年 グランフロント大阪開業

2015年 大名古屋ビルヂング竣工

2016年 大手町FCグランキューブ竣工

2017年 大手町パークビル竣工


どのように経営したのか?

マネジメント/資本政策

1937年 三菱地所設立(資1500万円)

1950年 三菱地所の財閥解体

1952年 渡辺武次郎社長就任

渡辺武次郎(社長任期1952年〜69年)

三菱財閥への入社時から一貫して不動産事業に関わり、大正時代の初代丸ビルの建設に際しては資材の輸入に奔走するなど、丸の内の隅から隅までを知り尽す人物。社長在任中の1959年には丸ノ内総合開発計画を策定し、近代的なビル街に変貌させ、経済メディアからは「三菱地所中興の祖」として賞賛された。

1953年 三菱地所の再合同

1953年 株式上場

1969年 田中乙一社長就任

1986年 連結決算に移行

1987年 高木丈太郎社長就任

1994年 福澤武社長就任

福澤武(社長任期1994年〜01年)

1980年代に三菱地所は丸の内に高層ビル群を新設する方針を公表するが、他の地権者との調整が不十分で反感を買ったために再開発計画が頓挫していた。地権者や自治体との調整を経て、1997年に福澤社長は初代丸ビルの建て替えを決断し、丸の内を高層ビル街に変貌させた。2016年4月には日経新聞が「私の履歴書」で同氏を取り上げている。

2000年 機構改革/事業本部制

2001年 高木茂社長就任

2003年 執行役員制度導入

2005年 木村惠司社長就任

2007年 機構改革/事業本部制廃止

2008年 機構改革/事業グループ

2017年 杉山博孝社長就任

2016年 指名委員会設置会社へ移行

2017年 吉田淳一社長就任


三菱地所の売上構成比-長期推移(推定含)

ビル賃貸と住宅販売の2本柱

1970年代までの三菱地所は丸の内の再開発などのオフィス賃貸事業が売上面の主力であったが、1980年代以降は海外や住宅事業に注力し、賃貸事業以外の売上を確保した。住宅事業は賃貸ではなく不動産の開発および販売(売り切り)が中心で、まだマンションが珍しかった1969年より「パークハウス」シリーズを展開しており、三菱地所の主力事業の一つに育った。

データ出所:会社四季報、有価証券報告書


三菱地所の株価-長期推移

三菱地所の株価-長期推移

都心再開発の期待感に左右

1980年代のバブル期には土地価格が高騰したことで、丸の内という含み益を持つ三菱地所の株価が高騰したが、バブル崩壊により期待感が薄れ、ロックフェラーセンタービルの事業失敗も重なり株価は低迷に転じた。だが、2000年代の丸の内の再開発が軌道に乗ったことで、2008年のリーマンショック直前までは再び株価は上昇傾向に転るなど、左右されやすい。

データ出所:ヤフーファイナンス(VIP倶楽部)


業界特性の歴史分析

駅前一等地の確保

都心部の駅前一等地を確保できるか?

オフィス賃貸事業では、交通利便性の高い駅から近いという立地条件が必須となる。このため、都心部駅前かつ広大な敷地面積を確保する企業に優位性が存在し、さらに「土地が安い時期」、すなわち鉄道が普及途上にあった「終戦直後(1950年)」までに一等地を仕入れた企業が優位に立ちやすい。

写真:筆者撮影/東京駅前


競争優位性の歴史分析

丸の内仲通り

いち早く東京駅前「丸の内」を確保して優位を確立

三菱地所は東京駅が開業する前に「丸の内」という一等地の買収を決断しており、丸の内を現在に至るまで保有し続け、建物の老朽化に合わせて再開発を継続してきた点に絶対的な強みがある。競合他社が丸の内という一等地の土地を取得するのは困難であり、三菱地所のオフィス事業の競争優位性は際立っている。

写真:筆者撮影/丸の内仲通り


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